「間宮林蔵」ー江戸時代の探検・測量家ー

間宮林蔵は安永9年(1780)に常陸国筑波郡上平柳村(現つくばみらい市上平柳)に生まれました。名は倫宗(ともむね)、号を蕪崇(ぶすう)といい、林蔵は通称です。
​神童と呼ばれた林蔵には、いくつかのエピソードが語り継がれています。小貝川の堰止め工事にあたって、効果的な方法を幕府役人に教え、そこで認められて江戸に出ることになりました。
​寛政11年(1799)師の村上島之允に従い、初めて蝦夷地に渡ってから、新道開発や植林、測量など、北辺で20年近く活躍し、蝦夷・千島・カラフトにおいて数々の華々しい業績を残しています。

間宮林蔵の業績の中で特に注目されるのは、「間宮海峡」を発見したカラフト探査です。
​文化5年(1808)幕府の第5回カラフト探査のため、普請役松田傳十郎と共にラッカまで行きました。同年から翌年にかけて、今度は単身で林蔵としては2度目の探査に出かけます。そしてカラフトの北端に近いナニヲーに到達、カラフトが完全に島であることを確認しました。
​林蔵はしばらくノテトに滞在し、中国大陸への調査を敢行しました。これらの記録は「東韃地方紀行(とうだつちほうきこう)」「北夷分界余話(ほくいぶんかいよわ)」「北蝦夷島地図(きたえぞとうちず)」として著され現在に伝わっています。
​大陸とカラフトの間は後にシーボルトが著した「日本」という本の中で「間宮海峡」と名付けられ全世界に紹介されました。「間宮林蔵」の名は、世界地図に名を残すただ一人の日本人といわれています。

​間宮林蔵の生家と間宮林蔵の墓は茨城県指定史跡に指定(昭和30年)されています。
​また、間宮林蔵に関する様々な資料の一部は、間宮林蔵記念館に展示され、市指定文化財に指定(平成4年)されています。

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